私は開店して3年目に信用保証協会を利用して1,000万円の融資を受けられました。
これは私の若い頃の失敗した話です。
現在、私は一人で店主兼店員として小売店を営んでいるシニアです。
様々な紆余曲折があり、夫婦二人の17坪の小売店でしたが一時期には銀行借り入れが1,020万円になりました。
目次
衣料品、呉服、酒類の小売業を親戚から譲り受けました
30歳の時に親戚からの依頼で、継承という形で店舗と在庫を買い取って始めた小売店です。
私自身は地元資本のスーパーマーケットに勤務しており、待遇も悪くありませんでしたから最初は関心がなく、乗り気にはなれませんでした。
しかし、周りの親戚達が強く推して来ていかにも利益が上がるようなことを言われてその気になり、買い取ることにしました。
最初は私自身は、そのままスーパーマーケットに勤めている状態で、先に同じスーパーに勤務していた妻に退職してもらい、買い取った店の販売スタッフとして専属で業務をしてもらいました。
すでに営業している小売店でしたので、資金の入りはあるのですが、実際には私の貯めていた貯金からの持ち出しが頻繁に必要となりました。
理由は親戚側が査定した商品在庫(約300万円分)が古すぎる商品や長期不良在庫に近いものばかりでお客様の求める商品ではなく、要望に応えようとすると新たな仕入れが必要になるためでした。
地域に数少ない小売店として営業しているのでお客様は少しずつ来店下さるのです。
取扱商品は、私が以前勤めていたスーパーでは扱ったことのないような衣料品、呉服など中心でした。
また、何故か酒類も販売していましたが、近所には他にお客様がついている食料品店がありましたので、競合を避けるべくそのままの業態で営業し続けました。
以前からのお客様が来店されて自分の欲しい商品を注文して頂けるのは良いのですが、その度に注文商品以上の仕入れ数になり、ドンドン在庫額が増えていくようになってしまいました。
生鮮食品や一般食品、日用雑貨は店満杯の在庫でもそんなに大きな金額にはなりませんし、回転も速いので資金繰りも回っていきますが、衣料品、呉服は利幅が大きいのですが回転が遅く資金繰りも遅いことを改めて実感しました。これは片手間で出来る仕事ではないと気がついてスーパーを退職し、自営小売業になりました。
商工会の指導で初めて国民政策金融公庫で借り入れをしました。
妻と二人で小売店をするようになり、地元の商工会にも加盟させていただき、指導員の方の指導も受け、各種勉強会なども積極的に参加して何とかお店を軌道に乗せたいと頑張ります。
考えたのが、私と妻の年齢に近いお客様を増やしていくことで、それにはお店の雰囲気をセルフ形式にして、照明を明るくし内装も明るい壁紙に変え、扱う商品も私たちが欲しいものを中心にするという方針をきめました。
県内の流通団地にある問屋さんの開拓も行いながら、小改装の計画を進行させ商工会の指導員の方に相談したところ、「国民政策金融公庫の無担保無保証人の融資があるけどどうだろうか」との事です。
ただ、指導員と商工会役員による(審査委員会)推薦が必要で、先ず商工会内での審査がありました。
借入限度額は売り上げとか実績により決まっていましたが、結果的に何もないところからのスタートになった私たちにとって無担保無保証人と言う制度は大変ありがたく思えたものです。
無事、推薦を得られ、小改装と陳列器具を更新し県内の問屋さんとの新規取引も始め、それまで仕入れたことのないような少し高額な商品も並べましたが思うように客数も売り上げも伸びません。
支払いサイトは最初の現金から60日、90日と延びていくばかりです。
チラシを出して割引売り出しをかけてもその期間は少し売れるのですが後が続きませんでした。
仕入れたものは売れなくとも返品もせず在庫にしましたから、売上金額の割には在庫商品が多すぎましたので支払いがきつくなるのは当たり前ことです。
後から冷静に考えれば、やみくもに頑張るだけではなく、ご来店いただくお客様の声、ご要望をしっかりお聞きしてお客様の気持に沿うような品揃えをし、日々の営業に反映すべきだったのです。
当時は「がんばれば何とかなる」と。
仕事が苦にならず、若いこともあり、年中無休の13時間営業(8:00~21:00)でしたが、思うような売上、利益が出ません。
私にお店を譲った前オーナーは夫婦二人でのご商売でしたが、ご子息二人に有名私大を卒業させたほど利益があったとのお話を聞くと「何でだろう、何が悪いんだろう」と考えてしまいます。
問屋様主催の勉強会や店舗見学会に参加したりしましたが、コンサルタント会社の勉強会に出席した折に会員企業の登録をしました。
要望すれば臨店指導を中小企業診断士の先生がして下さるとのことで、何度か勉強会参加を経て臨店いただきました。
立地や店舗、商品在庫、売上推移、客数などありのままの現状を見て頂きました。
17坪の路面店ですが田舎なので通行量は少ないし人の往来もあまりありません。
けれども担当して頂いた先生は「ここでも充分やれるやり方があるよ」とのことです。
私はお店の商圏が小さいこともあり、店舗の移転も考えていたものですから、先生のやり方とはどのような手法なのか期待を持って教えて頂きました。
そして、再度勉強会に出席して同業の方の話などをお聞きして「よし、頑張れば何とかなる」と言う考えに至りました。
経営計画書を作り信用保証協会に保証依頼
コンサルタントの先生のやり方というのは「安く買って安く売る」「しかも毎日」と言う誰でも知ってる方法でした。
ただ、特に指摘された点は以下のような事でした。
- 動きの悪い呉服と高級洋品を閉店売り出しで目玉にして売り切ってしまい以後扱わない。
- 地元の問屋は便利だが高いので新規借入で全部支払ってしまい、後は価格の折り合う商品を現金で仕入れる。
- 価格が安くて新鮮な商品は東京、大阪、名古屋などの現金前売り問屋に現金持参で出向き仕入れをする。
- 商品在庫は坪当たり原価で40万円をキープする。
- 月2-4回チラシを入れて商品紹介をする。
- 日替わりの特価品を提供する。
- 貸し売りはお断り。
等
新しい陳列器具や商品、地元の問屋さんの買掛支払、新装開店のための仕入れ資金と運転資金等、どれくらいのお金が必要かを計算したら1000万円になりました。
この資金を借りるにはどうしたらいいか考えてる時に、信用保証協会に担保を提供しておけばいいのではないかという考えが浮かびました。
そうすれば今回の借り入れも含めて、必要な時にも有利に事が運ぶのではないかと。
交渉の結果、信用保証協会に連帯保証人が2人と家屋敷と田んぼ、山を抵当として認めて頂き地元の銀行さんから借り入れをすることが出来ました。
一時期は良かったが借り入れに頼りすぎ最終的には自己破産。
教えて頂いたやり方で、仕入れや、チラシ、アルバイト料、利子等、経費が膨らみました。
売上は2.5倍程度まで伸びましたが経費の伸びを吸収出来ませんでした。
売上が4-5倍に伸びればよかったのですが、やはり商圏が小さすぎたのだと思っています。
最終的には恥ずかしながらお店をたたんで自己破産してしまいました。債権者には本当に申し訳ないと感じています。
私の場合、極端に他人資本に頼りすぎたことが最大の誤りだと思います。現在は再び以前のスーパーマーケットにお世話になっています。
以上、信用保証協会を利用して1000万円の融資を受けるも自己破産に至った私の苦い経験…でした。